お母さんだって一生懸命だったんだね

子どもの頃の記憶なんか
大人になってから
「カイザン」(ここでは現実とは
違った解釈で飲み込んだことと
同じ意味と捉えてもらいたい)
したことがたくさんあると思うんだ。

私は次女で、
三人兄弟(姉妹弟)の真ん中なので
長らく
「お母さんに一番に
愛されなくて
可愛そうな子ども」だと
自分のことを思ってた。

そんな一番に
考えてくれない母を
けなしたり罵倒したり
したこともあった。

大嫌いだ!と
思ったこともあった。

それでも母が好きで
お母さんの一番になりたいと
ずっと思い続けていた。

そんな中でも
私自身が母になって
子育ての大変さを
わかっていくにつれて
「母も大変やったんや」ということは
理解できるようにはなった。

だから、産んでくれてありがとうや
私を育ててくれてありがとうの
言葉は何度も言っていると思う。

しかし、本音ではやはり
「それでも母の一番になりたい」
は消えない。

母の「一番」じゃないというのは
やはり苦しくて、嫌な思いだった。

それが、今朝、ふと
本心で
心の底から
お母さんありがとう。と
涙が流れた。

母を抱き締める。
そんなイメージが見え、
そこでこんなことを言っていた。

一生懸命頑張っている。

母を抱き締めながら
私はこう言っていた。

「お母さん、よく頑張ったね。」

「二人、年が近い子どもを
よく頑張って育てたよ。」

「愛されなかったなんて
言ってごめんなさい。」

「いっぱい、いっぱい
愛してくれてたんだよね。」

「怖い顔して怒鳴ってるお母さん
嫌いだったんだよ。」

「でも本当に、一生懸命に
私を守ろうとしてくれていたんだね。」

「いつか苦労しないように。
いつかこうならないように。
そんな思いで、一生懸命に
育ててくれたんだよね。」

「一生懸命だったんだよね。」

「お疲れ様。」

「そして、私を育ててくれてありがとう。」

抱き締めた母は
嬉しそうに泣いていた。

そのイメージが見えた瞬間
私は泣いていた。

息子や娘をかわいそうと思ってた

実は、息子に怒鳴って家から放り出したり
娘のほっぺたを引っ叩いたり
そんなことをしている時に
「可哀想」と思っていた。

それでもやめられなくて
自己嫌悪に陥って
いつもいつも
「今度はこうならないぞ。」と
何度もどうしたらいいか?と
考えては動いていた。

で、今回、なんでこんなイメージが
出てきたかっていうと
「あ〜お母さんも、
自己嫌悪して、
こんな母親じゃダメだ!って思って
何度も改めようって思ったんだろうな。」
って、今更ながら
実感したんだ。

今までも
子育て大変だったから
怒ったり厳しく育てられたんだなって
思っていた。

でも、それが
なんだろう。

「お母さん頑張ったね」って。
自然にそう思た。

だからこそ、すごく素直に、
私もがんばってるんだって
自己肯定につながったというか。

そう、私は頑張っている。

だからもう少し、
どんな子育てをしても
大丈夫だと
自分を信じて進もう。

我が子は育てたように育つじゃない。

我が子って育てたように育つって
よく言われるけれども
そうじゃないなって私は思う。

だって、育てたように
育つっていうんだったら
私、もっと人の言うこと聞いて
人のことを伺って
生きていくように
なってたと思う。

でも、いつからか
変化した。

私は私の人生を
生きることを決めたんだ。

これは
「どんな風に育てたって
子どもは自分で
選びとる」ってことが
言えるんじゃないかと
私は思っているんだ。

私自身がそうだから。

子どもは育てたように
育つんじゃない。

子どもは自分で育つんだ。

大人になっても。

育つんだ。

だから、私も育つんだ。

成長するんだ。

だから、今、どんな
子育てをしていたって
大丈夫。

私の子だから。

大丈夫。

いつか自分の価値観で
物事を選びとる時がくるから。

心の動き

Posted by fumiko