子供の頃は○○のために生きていたんだと気付いたら、とっても楽になった

こんばんは。西村です。

今日、一つおっきなことに気づいたから、書いておこうと思います。

結論から言うと、私は自分で、自分に「叱咤激励」できていなかったんだということに気づいたんです。

この後詳しくお話しますね。

母の忠告を聞けない私。

私は昔から、母にべったりくっついて育ちました。

次女だったから、甘えるの上手だったんですよね。
姉よりも愛してもらうためには、何をしたらいいのか、最もよくわかっていたんだと思います。
本能的にね。

で、その能力のおかげか、母からは逐一進む道を決められる、そんな体験もたくさんしました。

「お母さんは、それは無理やと思うよ。でも、父さんが良いって言うなら、やってみれば。」

今でも覚えてる、この言葉。

高校を受験するときに言われた言葉です。

看護士になりたかったから、看護学校を受験したんですよ(^。^;)
まぁ、見事に撃沈。

母が言ったことが現実になったわけですよね。

母は子を思う一心で言ってくれていたことに、今更ですが、その愛を感じますよ。

でも、その時はわからなかった。

そして、今でもあまり変わっていませんね。

こんな時に思うのは、私は何事も「自分でやらなきゃ気が済まない」って思っているということです。

私はこれをしてもいい?とお伺いをたてる人生

先ほどの「自分でやらなきゃ気が済まない」という性分なのは、わかっておました。

でも、それ以上に大きな私の特徴があったことに、最近気づいたんです。

それが、一番最初に書いたことにつながります。

具体的には何かと言うと、とにかく「人にお伺いをたててから物事を進める」ようにしていたことです。

父や母に、いつしか「○○していい?」と必ず聞くようになっておたんですよ。

そん時は、なんにもわかりませんでしたが、自分で責任を取らなくて良い手段だったんですね。

そう、人に聞いておけば、自分がへましたときに、それを理由にすればいい。みたいな、擦れた考えをしていたわけですよ。

まぁ、それが良いか悪いかではなく、結局、そういう行動によって、自分が傷付かないようにしてきたってことなんですよ。

だから、誰かに決めて欲しかった。

今の活動も、「あってるよ。頑張れ!」って激励して欲しかった。

そんな思いがずっとあるんだなぁと、今日改めて気づいたんですよ。

次は自分で叱咤激励できる人になる

そう、私は自分に甘く、人のせいにして生きていれば、自分が傷つかなくてすむと思っています。

でも、それではうまくいかなくなってきたのが、今なんですよね。

子供が着ていた服が、身長が伸びて着れなくなったのと同じような感覚ですね。

だから、これからは、新しい服を着た方が快適に過ごせるわけですよ。

そのための、服を自分で探さなきゃいけない時期になっています。

私はその服を、「自分で自分に叱咤激励できる」服に決めました。

でも、それがどんな形をしていて、どんな素材でできているかはわからないので、それを探しながらこれからは、生きてみよう。

そう、今日決めました。

これからの成長を、乞うご期待笑

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